「Made by」 Vol.3




সারমিন

Sharmin




ラナプラザで働いていた時のお話を無理のない範囲で聞かせてください。


はい。私はヘルパーとして働き始めました。

これは、そこで働いたすべての人が初めに得る仕事になります。

その次にミシンの使い方を学ぶため、ミシンを使っての作業である「オペレーター」という位置に就きます。

そこから私は7年間、ラナプラザで働きました。私にとってはとてもいい経験でした。

たくさんの人たちと出会い、一緒に働けたからです。

しかし、その悲劇の後は、皆自分の道を選び、バラバラになりました。



ここで働くことになったきっかけは?


ラナプラザの悲劇の1年後に、私は韓国の会社で5年ほど働きました。

しかしその韓国の会社も閉鎖されてしまい、ここで働くことになりました。



ここでの仕事はどうですか?


ここの環境はとてもいいです。

他の裁縫工場と異なり、ここでは言葉による虐待がありません。

このような裁縫工場では通常、生産に遅れが生じた場合、工場長たちは私たちを言葉で虐待し、もっと早く、たくさん働くよう圧力をかけてきます。

しかし、ここには自由があります。

私たちの心と体にとって、健康的に仕事をすることができます。



あなたの夢はなんですか?


私の夢は、今のようにここでずっと働くことです。

変わらず、幸せで快適に。ただみんなと働くことです。

ここでより多くのプロジェクトを受けることで、私たちは長くここで働くことができます。

ここで働けることが私にとって、ここのみんなにとっても幸せです。

だから、ここで働けるように、あなたが頑張ってくださいね!笑



最後に

ラナプラザの事故は、むしろ私たちのような働き手にとって、よかったと言えるかもしれません。

なぜなら、あの事故をきっかけに、適切な給料を得ることができるし、協力してくれる人にたくさん出会いました。

何回も言いますが、ここでの仕事は本当に楽しいんです。

私はここでこれからもここで働くために頑張ります。